第200号記念特集号(医師会報編集委員会)
〜昭和58年3月1日発行第104号より転載〜
ルーツ“千刈狸の呟き”
  
  今は昔。ここ医師会病院のあるあたりは一面の広漠たる田圃、秋ともなれば寄せる黄金の波は出羽丘陵にも及ぶ。名にしおう本荘米の穀倉地帯を縦断して羽越線が走り、我々悪童が汽車通学の5年間に眺めた車窓の風景は今なお鮮やかである。このあたり千刈田圃と呼ばれた広大な平野の中に、ポツンと唯一軒、狸を飼育していた円兵どんの赤い屋根が目立っていた。

 時は流れ、ここ千刈周辺も新しい町並が埋めつくし、どう考えても往時の田圃から想像もできない御門町などと新町名までできて、狸の飼育も農家も見られなくなってしまった。

 千刈り狸は果たして何処に行ったのだろうか・・・。ところがである。かつての千刈狸は、気息は奄々ながら数を増し、現在なお生き続けていたのである。その数は百に今少し、いずれも腹ふくれて毛並み悪く、時勢を嘆き、無策を自嘲し、餌の悪さに怒りながら・・・。しかも柔和な目、やわらかな物腰、人見知りなどは昔のままで。世間はこのおとなしい狸集団を疎外視し、いじめぬくことに躍起である。いろいろ狸の都合もあろうに、物言う勇ましい狸の少ないまま、ただかぼそくブツブツと呟くだけである。これではますます狸の腹はふくらむばかり。よってここにコラムを「千刈狸の呟き」と名付け、腹ふくるるわざのいささかの捌け口を求め、いずれそろって狸穴より跳り出でるためのてだてとすると編集子こぞって而日。 
  平成20年9月1日

由利本荘医師会報巻末エッセイ“千刈狸の呟き”
ホームページへの公開にあたって

 先輩狸が総決起の志を立てて、はや20と5年。7年前には大挙して、新しい狸穴を水林に構えてみたものの、狸の呟き癖は変わらず。
 一方、世では“医療崩壊”、我々狸は、絶滅危惧種に指定されかねない状況。狸が絶滅すれば、鳥海のお山の裾野に広がるこの地で、千刈狸と共に生きる子供からお年よりまで、誰が守るというのだろう。
 事、ここに及び天の声。「千刈狸も、なかなか良い事を言っているではないか。呟いているだけでは、何も変わらぬ、外に向かって吼えてみよ」「いや、もはや吼える力など残っておりませぬ」「では、インターネットなる、呟いただけでも、吼えた以上にパワフルな方法で・・・」
 ・・・ということで、このたび、“千刈狸の呟き”をホームページで公開する運びとなりました。
 “千刈”狸のネーミングは、先輩へ敬意を表し、また千刈の古穴も、これからの狸の活動拠点の一つとなるゆえ、このまま使っていきたいと思います。また時々、呟くどころか、雄たけび(雌たけび?)を上げる輩も居りますが、これは笑ってお許しを。

平成20年度医師会報編集委員会 編集子

 
右の地図は本コラム「千刈狸の呟き」題名の由来となりました、"千刈(せんがり)"と呼ばれている地区の地図です。

 千刈は医師会病院設立の地であり、その昔多くの狸が生息し、地域住民の健康のため精力的に活動を続けておりました。

 それから約40年の月日が流れ、秋田県由利本荘市水林456-4に住所を変え、狸たちは手法は変われど引き続きブツブツと呟きながらも地域の医療を支えております。  
 
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